基準の在り処

 

 私は人混みが嫌いだ。

なかでも特に、東京の美術館の人混みが。

 

 一人ひとりが一斉に、同じ行動をしようとする。
展示を見るときの人混みは、とても疲れる。

 

 先日、上野の国立博物館で開催中の運慶展に行ってきた。それでもピーク時よりは全然マシなんだろうけど、展示をしている平成館に入るまでは10分待ち。
風が冷たい秋の夜であるのにもかかわらず、平成館の入り口で、ざっと100人近い人々が4列になって開場を待っていた。

 

 待つのは、別に苦ではない。ただ、あれだけの人が、同じものを見たいがためにお行儀良く並んで待っている、という状況に気味の悪さにも似た違和感を感じてしまう。

 

 入場制限をクリアして、いざ展示を見る段になっても、展示室内は人で溢れかえっている。


 解説を読むために緩やかな列ができる。
 見たいものを見るためだけに、展示物ひとつひとつで並んで待つ。それを作品ごとに繰り返す。

 並んで待っている人の列が壁を這うように続いて、他の作品を見づらくする。

 

 都会の美術館の混雑は、一斉に、同じものを見ようとするから起きる。
それで、求めているものの良さを、どれだけ楽しめているだろう?

 

 有名だから、話題になってるから、見に行ってみる。
皆が評価しているから良いーー。

 

 評価の基準を外側に置くのは確かに楽かもしれない。だけれど、皆と同じものを、なんとなく追いかける必要なんてないと思う。

 

 自分自身の基準で行動すれば解消されるだろう滞りは身近にたくさんあるし、良いものは、より良く楽しめると思う。