「私」の時間を生きること
時間の使いかた。
お金の使いかただったら、家計簿や小遣い帳をつける習慣がある人は多いと思うし、私もその内に入る。
今月のバイト代から、通信費や定期代、食費を引いて、残りの金額を見て考える。
これならずっと欲しかったあれ、買えるかなあ。次の長期休暇、旅行したいなあ。
お金については管理できていても、時間についてはどうだろう。
あれもしたい、これもしたい。
変わることなく流れ、過ぎ去っていく時間に対しては、つい意識がおろそかになってしまいがちな気がする。
講義の内容を覚えなきゃ。課題やらなきゃ。書類の提出〆切が近いから仕上げてしまおう。......。
そんな意識が、浮かんでは消える考えを押しのけて出てくる。
私はこれがやりたいから、これくらいの時間を作ろう。
生まれたての小さな「やってみたい」。その声は、注意して聴かないと自分にも聞こえない。
たとえば、学生の本分は勉強、という。
しかし、勉強とは、時間通りに講義を受けて、言われたことを完全に覚えることではない。自分の時間を対価として、言われるままに知識を増やすだけではない。
「私は◯◯だから〜しなきゃ」
顔を上げて、立ち止まってみる。目の前に敷かれたレールは幻かもしれない。時間は、止まることなく流れている。私が何をしていようと、通り過ぎていく。
自分の足もと、今歩いている道を見つめてみる。「学生」、「会社員」、「アルバイト」。大きなくくりは楽だけれど、私は◯◯だから〜しなきゃいけないなんてことはないと思う。
時間の使い方は自由だ。何をするかは自分で決めたい。
家計簿や小遣い帳をつけるときみたいに、時間を、やりたいことで消費していく。
そうしたら、生まれたての「やってみたい」の声を聴く余裕もできる。
やっと聞こえるようになった「やってみたい」の声は、どんな風に成長していくだろう。